近又屋号の由来
多紀連山をはじめとする山々に囲まれた丹波篠山は、篠山盆地の中心にあり、数千年の昔より人々の 生活が営まれてきました。その痕跡として縄文・弥生時代の出土品が数多く発見されています。 そして、慶長十四年(1609年)徳川家康の命により建てられた名城「篠山城」の時代から城下町として栄えてきました。その時を同じくして篠山の町に開業した「近江屋」が現在の「近又」のはじまりです。当主は代々「近江屋又兵衛」を襲名し、明治初年頃家号を「近又」と改めました。現在で十五代目となります。
明治の元勲「木戸孝允」が桂小五郎といった時代“好きなお菊と丹波篠山郷近又に宿る”と書いた日記を山口県に残しています。(山口県の新聞より)。
そして現在、由緒ある料理旅館として全国各地の方々にご利用をいただいております。
近又の栄誉
昭和54年11月25日、畏くも皇孫浩宮徳仁親王殿下ご宿泊の栄を賜り、ぼたん鍋をご賞味頂きました。
また昭和55年末には当旅館手作りの黒豆瓶詰を皇居ならびに東宮、常陸宮両家に献上御嘉納元旦祝に供せられました。そのことは私たちにとって宝であり、丹波篠山の美しい自然の中に立てた記念碑をいつまでも大切にしてまいります。
近又の宝
旅館中央の階段や、玄関先の天井は、創業当時のままの姿を残しております。ロビーには、代々当主達が集めた丹波焼、王地山焼を所狭しと、展示しております。ぜひ趣のある雰囲気でゆっくりとおくつろぎ下さい。